ラジオ放送「東本願寺の時間」

三原 隆応/京都府 京都光華高等学校
第一回 「宗教」の授業を担当して音声を聞く

 今日から6回にわたって、お話しをさせていただく、京都光華高等学校の三原と申します。よろしくお願いします。京都の西京極にある光華女子学園は、幼稚園・小学校・中学校・高等学校・大学・短期大学・大学院を有する女子の総合学園です。その中の高等学校で現在、「宗教」という教科と、生徒募集を担当しています。京都光華といってもご存知ない方も多いと思いますが、京都で行われる駅伝やマラソンでは、西京極運動公園がスタート・ゴール地点となります。私たちの学園は、丁度その一キロメートル地点にあり、校舎の一部と、沿道で声援を送る生徒たちの姿を、テレビでご覧いただいた方もいらっしゃるのではないかと思います。また、光華女子学園は、真宗大谷派学校連合会に加盟しています。真宗大谷派学校連合会は、北海道から九州まで全国に、小学校一校、中学校五校、高等学校十八校、短期大学七校、大学七校が加盟しており、親鸞聖人の教えを建学の精神としているのが共通点です。
 そして、そのほとんど全ての中学・高等学校では、「宗教」の授業が行われ、親鸞聖人や釈尊、お釈迦様の教えを生徒たちとともに学んでいます。
 京都光華高校は親鸞聖人の教えを建学の精神としている学校とはいうものの、生徒たちの殆どは、そのことを意識して入学してくるわけではありません。入学式の予行で初めて合掌し、式の最後に歌う『恩徳讃』の練習で、初めて親鸞聖人の言葉に出会う生徒も少なくありません。この年代、特に中学生・高校生にとって「宗教」は、「むつかしそうでよく分からない」「自分たちの生活には直接関係ない」というのが、正直なところでしょう。
 そんな生徒たちへの、高校一年生の最初の「宗教」の授業は「あなたは中学校の三年間、何を大切に、何を生活の中心としてきましたか?」という問いから始まります。
 「部活」「友だち」「勉強」「習い事」など、素直な答えが返ってきます。そして、その大事にしてきたことが「正解だった」と思う生徒たちは、中学生活が充実していたと感じているようです。一方で、人間関係や様々な問題に苦しんで、充実したとは言えない中学生活を送った生徒もいると思われます。では、高校生活で何を大切に、何を生活の中心とすれば充実した三年間になるか考える訳です。
 そしてそれは、「私の人生」の中で何を大切に、何を生活の中心としていけばいいのかという、大変大きな問題につながります。日常生活の中で、どんなことで心が満たされているかということによって、「私のこの人生はこれでよかった。」とよろこべる人生にもなり、「空しく過ぎた。」と悔やまれる人生にもなるのではないかと思うのです。
 しかし、一体何を大切に、何を生活の中心に据えればよいのでしょうか。大変むつかしい問題です。そしてそれを明らかにして下さるのが「仏法」、仏さまの教えです。私たちは「無明」といわれる深い迷いの中にいます。「無明」とはその時の都合によって、「正しいことを間違っている」と考え、「間違っていることを正しい」と思う、つまり、「見えていない」ということです。それを迷いと言います。仏さまの教えに照らされて闇から開放され、初めて本当のことが見えるようになるのです。
 親鸞聖人のお言葉を今に伝える『歎異抄』の「後序」と呼ばれる最後の部分には法然上人のことばを引いて、「如来よりたまわりたる信心」、「仏さまを信じる心は私がおこした心ではなく、仏さまからいただいた心である。」とありますが、「仏さまの教えに会うことが出来る条件も、仏さまから与えていただいた」と言うことが出来るのではないかと思います。たまたま、不思議なご縁で私たちの学校に入学しなければ、出会うことのなかった「仏法」、仏さまの教えを、生徒たちと共に学ぶ、むしろ生徒たちの素直な反応から教えられているというのが、現在の私です。

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