これまで五回にわたって、私の人生を振り返りながら、仏さまの教えに会う不思議なご縁と、気づかせていただいたことをお話ししてきましたが、今日は今一度、お釈迦様に戻って考えていきたいと思います。
お釈迦様は今からおよそ二千五百年前、シャカ族の王国の王子としてお生まれになり、食べ物も衣類も最高級、季節に合わせた三つの別邸が用意されるなど、何不自由ない生活を二十九歳まで続けられます。しかしそこには本物はないと見究められ、恵まれた生活の全てを捨てて出家されます。そして、六年の厳しい修行ののち、三十五歳でさとりを開かれたと伝えられています。そのさとりの内容は「縁起」といわれます。
「縁によっておこる」つまり、あらゆるものは様々な条件に支えられて成り立っているということです。当然、条件が変化すれば存在や状態も変化します。つまり一定不変の状態を永遠に維持するものはないということです。
お釈迦様の出家の課題が、老・病・死の苦しみからの解放と伝えられていることから、私は長い間、お釈迦様のさとりとは、自分の都合のよい状態が永遠に続くことを願い、都合の悪いことを排除しようとしても実現できないこと、その時の条件で、どうしてもそうなってしまう現実を受け入れられない、私の心が苦の原因であることを明らかにされたのだと理解していました。いわば私たちの見える範囲、経験できる範囲での事実をさとられたと思っていたのです。
ところが親鸞聖人は『正信偈』と呼ばれる詩の中で、「如来所以興出世、唯説弥陀本願海」、「お釈迦様が世に出られた本当の理由は、阿弥陀と名のられた仏さまの真実の願いを、私たちに教えてくださるためである。」といただいておられます。
つまり、お釈迦様がさとられたのは、私たちの見える、理解できる範囲での事実ではなく、阿弥陀と名のられた仏さまの真実の願いです。「阿弥陀」は「無量寿」と訳されます。限りないいのち、人間の想像をはるかに超えた遠い過去から未来に続く、「海」という言葉に象徴される、限りなく広く、深い願いが私たちにかけられているとさとられたのがお釈迦様であるとおっしゃるのです。これはもはや私の理解を超えた世界、不思議な世界としか言いようがありません。
これまで何度か引用させていただいた『歎異抄』は親鸞聖人の弟子、唯円という方が、親鸞聖人がなくなってから、かなりの年月が経ってから記されたものと考えられています。
その「序」と呼ばれる最初の部分には、「故親鸞聖人御物語の趣、耳底に留まるところ、いささかこれをしるす」とあります。耳底、「耳底に留まる」ですから、お聞きしてから数十年経っても、絶対に忘れられない言葉です。その第一章に、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり・・・そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」とあります。「不思議としか言いようのない阿弥陀仏の真実の願いをかけられている我が身であったと、思わず念仏しようとする。その時がすでに救いの中にあった。なぜなら、とんでもない思いや行いをする私にかけられた願いだったからだ」という、生き方を完全に変える言葉です。
「念仏の生活」とは何時でも何をしていても、仏様のことが意識されている生き方だとお聞きしたことがあります。つまり、私の眼が完全に仏様の方向を向いた生活です。
現在のより便利で快適な生活、進歩・発展を最優先する評価基準だけで見れば、出来ない、役に立たない、都合が悪いと、存在の価値を認められず、排除されてしまい居場所を失う私でも、その眼差しを仏様の方向に転ずれば、広々とした居場所、私が何も飾らないままで安心して生きていける世界が広がっているのです。今日一日、仏様を見る眼差しでまわりの方々と接してみてはいかがでしょう。私もそんな眼差しで、生徒たちと「おはよう」と挨拶を交わしたいと思います。